北陸新幹線に乗っているとき、長いトンネルを抜けても、私たちはほとんど意識しません。
けれど、その「何も感じずに通り過ぎられる時間」の裏側に、どれほどの葛藤と判断が積み重なっていたのか。
飯山トンネルは、ただ難しかった工事ではありません。「本当に掘り進めていいのか」と何度も問われた現場でした。
その問いに向き合った人たちの選択を知ると、この番組が描こうとしている核心が見えてきます。
このブログでは、NHK「新プロジェクトX」で注目される飯山トンネルについて、番組をより深く楽しむための視点を整理していきます。
・飯山トンネルはどこにあり、なぜ北陸新幹線の要衝なのか
・崩落を招いた地質条件と、工事が難航した本当の理由
・危機を食い止めた多重支保工法とはどんな技術だったのか
・そして、表に出ることの少ない名もなき技術者たちの選択と覚悟
飯山トンネルという巨大プロジェクトの見え方が少し変わる、そんな時間になれば嬉しいですね。
新プロジェクトXで飯山トンネルが紹介される理由
視聴者がまず気になるのは、「なぜ今、飯山トンネルなのか」という点だと思います。
【番組紹介】1/24(土)NHKの番組「新プロジェクトX 挑戦者たち」で、北陸新幹線開業に向け、日本の土木技術の粋を結集して完成した「飯山トンネル」が取り上げられる予定です。
■番組放送日時:令和8年(2026年)1月24日(土)午後7:30〜https://t.co/8mMR7keCqe pic.twitter.com/F67fbWs9X6
— 長野県飯山市 (@iiyama_city) January 20, 2026
理由は明確で、ここには成功の裏にある“迷い”と“立ち止まり”が、はっきり残っているからです。
崩落事故、膨張性地山、想定外の地下水。
技術的に見れば「中止」や「大幅見直し」も現実的だった状況で、それでも前に進んだ。
プロジェクトXが好んで描くのは、こうした正解が見えない中での決断なのだと感じます。
昭和の三大馬鹿査定とは何だったのか
北陸新幹線、そして飯山トンネルの物語を語るうえで、どうしても触れておきたいのが
「昭和の三大馬鹿査定」 という、少し刺激的な言葉です。
新幹線事業は、実は50年以上も前から構想自体は存在していました。
しかし、沿線人口の少なさ、建設費の莫大さ、山岳地帯という厳しい条件が重なり、計画は何度も持ち上がっては消えていきます。
そのたびに行われたのが、費用対効果を厳しく問う査定でした。
中でも、北陸新幹線のような地方路線は、
「本当に採算が取れるのか」
「ここに新幹線が必要なのか」
と疑問視され、無謀な計画=馬鹿な査定と揶揄されることすらあったのです。
それでも、計画が完全に消えなかったのは、数字だけでは測れない価値を信じる人がいたからでした。
その一人が、依田淳一さんです。
依田さんは、長年にわたる調査データや地道な検討を積み重ねながら、北陸新幹線が地域にもたらす意味を粘り強く訴え続けました。
一気に状況が変わるような派手な転換点があったわけではありません。
少しずつ、少しずつ、反対や懐疑を崩していく。
昭和の三大馬鹿査定と呼ばれながらも、計画が着工にこぎつけた背景には、諦めなかった人の熱意がありました。
この話を知ったうえで番組を観ると、
飯山トンネルは単なる「難工事」ではなく、
長い年月の否定と議論を乗り越えて、ようやく掘られたトンネルだったことが見えてきます。
技術や工法の裏には、必ず「やるべきだ」と信じ続けた人がいる。
昭和の三大馬鹿査定という言葉は、その事実を逆説的に物語っているようにも感じますね。
飯山トンネルはどこ?
飯山トンネルは、長野県飯山市から新潟県板倉町(現・上越市)を結ぶ、全長約22.251kmの長大トンネルです。
NHK「新プロジェクトX」、北陸新幹線・飯山トンネルを特集。1月24日放送、建設主体の鉄道・運輸機構が出演 https://t.co/q3nTwzJOvu pic.twitter.com/RSLFL3FuxI
— トラベル Watch (@travelwatch_jp) January 19, 2026
数字だけ見るとスケールの話に思えますが、重要なのは「場所」です。
この区間は、地質が極めて不安定で、山が一枚岩ではない。
とくに板倉工区を担当した大林組JV(大林組・大豊建設・松村組・田中産業)にとっては、出口に近づくほど条件が厳しくなる、気の抜けない現場でした。
終盤こそ危険、という現実が、この工事の重さを物語っていますね。
飯山トンネルはなぜ難工事だったのか
多くの視聴者が疑問に思うのが、「何がそんなに厄介だったのか」という点でしょう。
答えは、膨張性地山です。

引用元:大林組
掘削すると、地山が時間差で押し出してくる。
支えたはずのトンネルが、内側から壊されていく感覚は、現場にいた人でなければ想像しにくいはずです。
この工事では、掘る=安定する、ではなかった。
その常識の崩れ方こそが、最大の難しさだったように思います。
崩落を止めるための多重支保工法
視聴後、多くの人が気になるのが、多重支保工法とは何かという点でしょう。
これは、「壊れない構造」を目指すのではなく、壊れることを前提に重ねて守る発想です。

引用元:大林組
一次支保の変形を許容し、その内側に二次、さらに高耐力の支保を設置する。
飯山トンネルでは、設計を何度も見直し、より早い閉合と耐力向上に踏み込みました。
理論だけでなく、現場の変位データと向き合い続けた結果だった点が、この技術の説得力だと思います。
さらに、この多重支保工法の理論的な基礎として、トンネル工学の専門家である剣持三平さんの研究が大きな礎になっています。
剣持さんらがまとめた論文では、一次支保工だけでは抑えきれない膨圧性地山の変位を、二次・三次と支保層を段階的に重ねて制御する発想がどう機能するかが解析されており、これは飯山トンネルでの多重支保工法が効果を発揮した理由を裏付ける科学的な裏付けです。
崩落を止めた多重支保工法とは
番組を視聴したあと、多くの人が気になったのが「多重支保工法とは何だったのか」という点ではないでしょうか。
この工法の本質は、壊れない構造を目指すのではなく、壊れることを前提に重ねて守るという、少し逆説的な発想にあります。
引用元として紹介されている大林組の解説でも触れられているように、一次支保工の変形をあえて許容し、その内側に二次、さらに高耐力の支保を設置することで、全体としてトンネルを安定させる考え方です。
飯山トンネルでは、設計通りに進めてもなお膨張性地山の力が想定を超え、設計を何度も見直しながら、より早い閉合と耐力向上に踏み込む判断が重ねられました。
この多重支保工法を提案した人物として知られているのが、剣持三平さんです。
剣持さんの発想は、理論だけに頼らず、「現場では必ず想定外が起きる」という前提に立ったものでした。
完璧な設計を描くより、変形しながらも耐え続ける構造をどう作るか。その考え方が、飯山トンネルのような超膨張性地山で生きたのだと感じます。
そして、この工法を現場で機能させるうえで欠かせなかったのが、林成浩さんによる計測でした。
林さんは当初、都会での仕事に憧れていたそうですが、携帯電話も通じないトンネルの中で、計測という責任の重い役割を任されていきます。
地味で目立たない仕事に見えても、計測データこそが次の判断を導く唯一の手がかりだったのですね。
実際、林さんたちが積み重ねた変位データが解析されることで、
「二つ目の支保を、いつ設置すべきか」
そのタイミングを掴むことができました。
多重支保工法は、設計図の中だけで完成する技術ではなく、現場の数字と向き合い続けた結果、ようやく成立した技術だったと言えそうです。
こうして見ると、
飯山トンネルで多重支保工法が崩落を止めた背景には、発想を生んだ人と、数字を積み上げた人の両方がいたことが分かります。
番組が描いていたのは、単なる工法の成功ではなく、「判断を支えた積み重ね」だったのかもしれませんね。
飯山トンネル工事で起きた崩落事故
多重支保工法によって、ようやくトンネルが安定し始めた。
そんな成功の兆しが見えた矢先に起きたのが、飯山トンネル工事を揺るがす大規模な崩落事故でした。
この崩落は、単なる地山の崩れではありません。
断層の奥に閉じ込められていた高水頭地下水が一気に解放され、未固結の砂岩層とともに、トンネル先端から地表にかけての土砂が内部へと流れ込みました。
その勢いは想像以上で、重機や資材が約500メートルも押し流されたとされています。
原因とされているのは、地下水が集中して流れる地盤構造を、事前調査で完全には捉えきれていなかったことでした。
どれだけ慎重に調べても、山の中には「見えていない条件」が残る。
この事故は、自然相手の工事が持つ限界を突きつけた出来事だったのだと思います。
そして印象的なのは、崩落後の対応でした。
復旧の手順は決して派手ではありません。
地表の陥没部を覆い、
一つずつ注入を行い、
水を抜き、
状態を確認し、
条件が整ってから、静かに掘削を再開する。
劇的な逆転劇ではなく、地味で気の遠くなるような積み直し。
それでも、この手順を省くことは許されませんでした。
現場には、焦らず、誤魔化さず、もう一度向き合うという強い覚悟があったように感じます。
この崩落事故は、飯山トンネル工事にとって最大級の試練でしたが、
同時に、安全と向き合う姿勢が試された瞬間でもありました。
番組を観ていると、事故そのものよりも、その後の時間の積み重ねこそが、このプロジェクトの本質なのかもしれない、そんな思いが残りますね。
飯山トンネルを成し遂げた技術者たち
番組で語られるのは、名前よりも役割です。
全体を預かる所長、地山を解析する設計者、通信もない現場で測量を続けた若手技術者。
誰か一人が英雄だったわけではありません。
印象的なのは、彼らが「歴史に残る仕事」をしている自覚がなかったこと。
ただ、目の前のトンネルを、安全に前へ進める。
その積み重ねが、結果として“物語”になったのだと感じます。
岡崎準(おかざき じゅん)とは何者か
スタジオに招かれた岡崎準さんは、北陸新幹線という国家的プロジェクトを「少し離れた場所」から見続けてきた人物です。
鉄道建設・運輸施設整備支援機構で要職を務め、現場の技術者たちが挑んだ数々の難工事を、計画と責任の立場から支えてきました。
飯山トンネルのような難工事は、現場だけの判断では前に進めません。安全性、工期、予算、そして社会的責任。
その全体を見渡しながら、現場の判断を信じて任せる覚悟が求められます。
新プロジェクトXで岡崎準さんが語る言葉は、技術の話以上に「決断の重さ」を伝えているように感じられますね。
依田淳一(よだ じゅんいち)が担った技術的役割
依田淳一さんは、飯山トンネル工事における技術的な裏付けを担ってきた存在です。地質調査や技術検討、工法選定といった、表には出にくい領域でプロジェクトを支えてきました。
膨張性地山や崩落リスクに対し、多重支保工法を含む対策が選ばれた背景には、数値や解析だけでなく「これ以上は危ない」という技術者の感覚がありました。
飯山トンネルで多重支保工法が採用された理由を、理屈として言葉にできる存在それが依田さんの役割だったのでは、と感じます。
現場と経営、その間をつなぐ技術の通訳者。そんな立ち位置が、番組の中でも自然と伝わってきますね。
復旧工事を率いた土谷昭仁という存在
大規模崩落という最悪の事態のなか、復旧工事の最前線で指揮を執ったのが、土谷昭仁さんでした。
この局面で求められたのは、技術以上に「人を預かる覚悟」だったように感じます。
土谷さんは子どもの頃、喧嘩をしては学校に父親が謝りに行く、そんなやんちゃな少年だったそうです。
その父親もまた、トンネル工事に携わるトンネルマンでした。
ある日、「ついてこい」とだけ言われて連れて行かれた先が、父親の仕事場であるトンネル工事の現場だったといいます。
薄暗い坑内で、泥にまみれながら黙々と働く父親の姿。
その光景に、言葉では説明できない何かが胸に込み上げた。
土谷さんがトンネルという仕事に引き寄せられた原点は、技術ではなく、その背中だったのかもしれませんね。
飯山トンネルの復旧工事は、一歩判断を誤れば人命に直結する緊張の連続でした。
土谷さんは、多くの作業員の命と、工事再開の成否、その両方を背負う立場として、現場に立ち続けます。
工事監督の杉本さんとは、判断を巡って何度も激しくぶつかり合ったそうですが、それは責任感の裏返しでもありました。
意見が衝突するのは、どちらも「守るもの」が同じだったから。
飯山トンネルの復旧現場では、技術だけでなく、人の覚悟同士がぶつかり合っていた、そんな印象を受けます。
番組を通して伝わってくる土谷さんの姿は、特別なヒーローではありません。
ただ、自分の立場から逃げず、現場に立ち続けた一人のトンネルマン。
その積み重ねが、飯山トンネルを再び前に進めた力だったのだと思います。
飯山トンネルのまとめ
飯山トンネルは、技術の進歩を誇る話ではなく、判断の重さを伝える物語です。
やめる理由がいくつもあった中で、続ける理由を探し続けた。
その姿勢こそが、プロジェクトXが今も共感を集める理由なのかもしれません。
次に北陸新幹線で長いトンネルを通るとき、
その静けさの下にあった時間を、少しだけ思い出してもらえたら――
この番組は、きっと十分に役目を果たしたと言えそうですね。
ここまで見てきた内容を、あらためて整理すると、飯山トンネルの物語は次のように浮かび上がってきます。
・飯山トンネルはどこにあるのかについては、長野県飯山市から新潟県板倉町に至る、北陸新幹線の中核を担う区間です。
・飯山トンネルが難工事だった理由については、膨張性地山と高水頭地下水という、日本でも屈指の厳しい地質条件にありました。
・崩落を止めた多重支保工法とは何かについては、壊れない構造ではなく、壊れる前提で重ねて守るという発想の転換です。
・飯山トンネルを成し遂げた名もなき技術者たちについては、英雄ではなく、現場で判断し続けた普通の技術者たちだったと言えます。
こうして振り返ると、
飯山トンネルは、多重支保工法という最先端技術と、人の判断が交差した現場だったことがよく分かります。
それでは、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。



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