2025年10月14日放送の『徹子の部屋』に、千昌夫さんが出演します。
今回の放送では吉幾三さんを支えた千昌夫さんとの師弟関係も、今回の見どころになりそうです。
千昌夫:高校生で岩手から上京 一人だけ遠藤実の弟子入りを許可された理由は? 吉幾三との爆笑秘話も 「徹子の部屋」で#徹子の部屋 #千昌夫 https://t.co/WHVdJ4W9a9
— MANTANWEB/毎日キレイ (@mantanweb) October 13, 2025
そして、吉幾三さんの代表曲「津軽平野」や「俺ら東京さ行ぐだ」の誕生秘話、そして彼の出身地・父親との深い絆について語られるのではないかという点です。
どちらの曲も、吉幾三さん自身が作詞・作曲を手がけた名曲。
その裏には、「故郷・津軽」や「父への思い」という強いテーマが流れています。
放送前からSNSでも「津軽平野の誕生秘話を聞きたい」「吉幾三さんの父親の話、気になる」と話題に。
この記事では、そんな期待を込めて、放送前に押さえておきたいポイントを、私自身の視点も交えながら整理しました。
🎵 吉幾三の津軽平野と父親に込めた思い
「津軽平野」は、吉幾三さんが亡き父親への思いを込めて書いたとも言われる名曲です。
広大な雪の平野を背景に、父の背中を思い出すような歌詞――その一節一節に、彼の原風景がにじんでいます。
当時、まだ無名だった吉幾三さんにとって、千昌夫さんは“恩人”のような存在。
今朝の一曲
津軽平野・吉幾三・千昌夫
これぞ日本の演歌
岩手の千昌夫と青森の吉幾三
『俺、オヤジを出稼ぎで亡くしたんだ』と涙ポロリと流した千昌夫
出稼ぎに出た父への思いをつづった曲で、後に「津軽平野」のタイトルで吉幾三が作り千昌夫が歌うことになった pic.twitter.com/LvJ340CUPj
— 日の丸🇯🇵銀輪 (@hinomaruxx) April 24, 2025
父への思いを込めた曲を譲るのは迷いもあったそうですが、「お前の歌をヒットさせてやる」という千さんの言葉が背中を押しました。
このやりとりの中に、師弟の信頼と音楽への誇りが見えます。
私だったら、父を思い浮かべながら作った歌を他人に託すなんて、きっと迷うと思います。
でも吉幾三さんは、「誰かの声で伝わる想いもある」と信じたのかもしれません。
音楽を“自分だけのもの”ではなく、“誰かと共有するもの”と捉える姿勢に、深い人間味を感じます。
❄️ 吉幾三の出身と津軽の原風景が生んだ感性
吉幾三さんの出身地・青森県五所川原市(金木町)は、雪深い津軽の地。
そこでは、厳しい冬を越えるための「人の温かさ」や「助け合いの文化」が根づいています。
この吉幾三の生まれの地にもきっとハロヲタは住んでいる、はず (@ 五所川原駅 in 五所川原市, 青森県) https://t.co/eKXI1p6BES pic.twitter.com/NFLAoTv9yq
— くちお。(M.kuchio) (@maybe_kuchio) April 4, 2021
その土地で育った吉さんの音楽には、人情味とユーモアが息づいています。
たとえば、「俺ら東京さ行ぐだ」は、田舎暮らしの現実を笑いに変えた名曲。
でもその明るさの裏には、都会への憧れと孤独が共存しているようにも感じます。
私自身、地方出身なので、あの歌詞の中に“ちょっと切ない笑い”を感じるんです。
「東京で頑張ってるけど、地元の景色が恋しい」――そんな感情を代弁してくれるようで。
吉幾三さんの出身地の空気感が、そのまま彼の歌の温度になっていると感じます。
🎼 吉幾三が作詞作曲した津軽平野の誕生秘話
「津軽平野」は、吉幾三さん自身が作詞・作曲した作品。
もともとは自分で歌う予定だったものの、千昌夫さんが「これを俺に歌わせてくれ」と強く希望したそうです。
千昌夫 – 津軽平野 [1984.3.25]
作詞・作曲:吉幾三 編曲:京建輔
(最高49位 / 13.2万枚 / 1984年度 年間157位 / 1985年度 年間214位)pic.twitter.com/5Y57n3nANW— 80’s Japanese Music File (@80sjmf1) June 25, 2024
その後、曲がヒットし、ふたりの関係は“恩と情”で結ばれるようになりました。
こうした背景を知ると、ただのヒット曲ではなく、人の絆が作った音楽の奇跡だと思わされます。
私だったら、この話を聞くだけで「努力は必ず誰かが見ているんだ」と背中を押されます。
まさに、昭和の温かさを象徴する一曲ですね。
🏙️ 吉幾三の俺ら東京さ行ぐだ誕生秘話と千昌夫との絆
「俺ら東京さ行ぐだ」は、方言まじりの歌詞と軽快なリズムが印象的な一曲。
本日に届いた吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』のレコード。
幼少の頃にレーザーディスクで聞きまくってたので普通に欲しかった2。
普通に聞いてたので、作詞作曲が吉幾三だとか、日本最初のラップだとか、もとはコミック路線で千昌夫向けに書いた『雪國』で大ヒットしたとかは大人になってから知った。 pic.twitter.com/YdS3Qs7CUh— 岸和田市民@万博44th (@kishiwadapeople) December 31, 2024
しかし、その背景には「津軽平野」を千昌夫さんに託した後、“自分の歌”を作ろうという強い思いがあったといわれます。
千昌夫さんが「今度はお前が歌え」と励まし、吉さんが自ら作詞作曲して完成。
制作当時、吉さんはまだ生活も苦しく、レコーディング費用は千昌夫さんが立て替えたという逸話も。
結果的に、これが彼の代表曲となり、全国的な人気を得ました。
この流れ、まるで“音楽による恩返し”のようで素敵ですよね。
私だったら、支えてくれた人に認められる瞬間ほど、嬉しいことはないと思います。
「津軽平野」と「俺ら東京さ行ぐだ」には、師弟の絆が流れている。
そう考えると、どちらの曲もただの名曲ではなく、“人生の物語”そのものなんです。
🎙️ 徹子の部屋で語られた吉幾三の“父への想い”と“今”
10月14日の『徹子の部屋』では、吉幾三さんが改めて“父との思い出”や“津軽の暮らし”を語るのではないかと予想されています。
引用元:岩木山観光協会
特に、今だからこそ話せる「父に対する感謝」や「地元で感じた愛」などが聞けるかもしれません。
また、番組では「津軽平野」「俺ら東京さ行ぐだ」誕生の裏側や、制作当時のエピソードが語られる可能性も。
もしそうなれば、昭和の音楽史を知るうえで貴重な時間になりそうです。
私だったら、吉さんが“今の時代に津軽をどう思っているのか”に特に注目します。
吉幾三さんの言葉には、いつも時代を超えるリアルな温度がありますから。
放送後には、SNSで「泣けた」「懐かしい」という声が溢れそうですね。
🌅 津軽平野と俺ら東京さ行ぐだに流れる、吉幾三の人生と音楽の原点
「津軽平野」は郷愁を、「俺ら東京さ行ぐだ」は笑いを・・・
対照的な2曲ですが、どちらにも共通して流れるのは“津軽への愛と父への感謝”です。
音楽の形は違っても、根っこにあるのは「自分を育ててくれた人と土地への敬意」。
それが吉幾三さんの音楽の原点であり、彼の歌が今も多くの人の心に響く理由なのだと思います。
この2曲を聴くと、自然と“自分の原点”を思い出します。
どんなに時代が変わっても、人は帰る場所を求めている。
そんな普遍的なテーマを、吉幾三さんは歌で伝え続けているのかもしれません。
それでは、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
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