突然届いた大須賀聖良さんの訃報に、囲碁ファンの間では驚きと悲しみが広がりました。
若くしてプロ入りし、これからの活躍がますます楽しみだった女流棋士の一人です。
引用元:洪道場
この記事では、大須賀聖良さんのこれまでの歩みや成績、そして最後の対局について振り返りながら、その残してくれたものを改めて感じていきたいと思います。
囲碁に詳しくない方でも、彼女の人生の一端に触れていただけたら幸いです。
大須賀聖良さんの経歴
大須賀聖良さんは2004年1月20日生まれ、埼玉県出身です(出典:日本棋院公式サイト)。
引用元:埼玉新聞
囲碁好きの家庭で育ち、幼い頃から碁石に親しんできました。
お母さんもアマチュアの強豪として知られ、まさに囲碁が身近な環境の中で育ってこられたようです。
15歳のとき、女流特別採用推薦によりプロ入りを果たし、そのスピードは囲碁界でも注目を集めました。
ただ、若いうちにプロの世界に入ったからこその悩みや、同世代との競争の厳しさもあったのではないでしょうか。
プロ入り後すぐに安定した成績を残すのは簡単ではなく、努力を重ねる日々だったことと思います。
それでも彼女は、冷静で落ち着いた打ち回しと、時に大胆な発想を持ち味にして、着実に実力を高めていきました。
囲碁道場での鍛錬や、国内外の大会経験も、彼女の成長を支えてくれたのでしょう。
『彼女の人生は、まさに囲碁と共にあった』そんなふうに感じさせられます。
大須賀聖良さんの実績(成績)
大須賀聖良さんの通算成績は60勝95敗(出典:日本棋院)。
引用元:日本棋院
数字だけ見ると目立ったものではないかもしれませんが、女流本因坊戦や女流棋聖戦といった主要棋戦で本戦に進出するなど、確かな存在感を示していました。
中でも、2022年・2023年の女流本因坊戦本戦入りは、彼女の成長を感じさせるものでした。
女流棋聖戦でも3期連続で本戦に進出し、安定した戦いぶりが印象に残ります。2023年には二段に昇段し、その後も順調に対局を重ねていました。
もちろん、勝ち負けだけでは語れない一局一局の積み重ねが、彼女の棋士人生を豊かにしていたのだと思います。
プロの世界では、どれだけ勝つかも大切ですが、それ以上に「どれだけ自分を磨き続けられるか」が大事といわれます。
大須賀聖良さんの歩みは、まさにその積み重ねだったのではないでしょうか。
私自身、彼女が敗れた後でも前向きなコメントを残していた姿がとても印象に残っています。
一手一手に全力を尽くす姿勢が、同世代の中でもひときわ輝いていました。
大須賀聖良さんの最後の対局
大須賀聖良さんの最後の対局は、2025年5月8日に行われた第81期本因坊戦予選Cの一戦で、相手は遠藤悦史八段でした(出典:日本棋院公式サイト)。
5月8日(木)出身棋士対局予定②
十段戦予選B
熊丰七段ー(桑原樹二段)
伊藤優詩五段ー(柳原咲輝二段)
本因坊予選C
遠藤悦史八段ー(大須賀聖良二段)
信田成仁七段ー(姚智騰六段)
碁聖戦予選C
宮沢吾朗九段ー(蕭鈺洋三段)
(池本遼太四段)ー小田鉄平三段— 洪道場@囲碁【公式】 (@Hondojo_O) May 8, 2025
結果は惜しくも敗れてしまいましたが、最後まで彼女らしい冷静さと粘り強さを見せていたと伝えられています。
本因坊戦は囲碁界でも伝統ある大きな舞台で、多くの棋士がしのぎを削る場所。
その中で戦い抜いた彼女の姿は、これまでの努力の集大成だったように思えてなりません。
事故のニュースを知ったときは、「どうしてこんなにも早く…」という思いがこみ上げました。
タイトル戦での活躍も期待されていただけに、本当に残念でなりません。
報道によれば、今回の訃報は不慮の事故によるもので、詳細については触れられていませんでした(出典:Yahoo!ニュース 2025年6月9日)。
最後の一局を振り返ると、彼女の歩んできた道のりや努力がぎゅっと詰まっていたように感じます。
囲碁ファンとして、彼女の一手一手をこれからも心に留めていきたいと思います。
大須賀聖良さんのまとめ
- 大須賀聖良さんの経歴については、囲碁一家に育ち、15歳でプロ入りした彼女の成長と努力の歩みを紹介しています。
- 大須賀聖良さんの実績(成績)については、通算成績や主要棋戦での活躍、昇段の経緯などから実力派棋士としての軌跡を伝えています。
- 大須賀聖良さんの最後の対局については、2025年5月8日の本因坊戦予選での一局を振り返り、訃報に触れつつ彼女の囲碁人生の集大成として描いています。
それでは、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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